註1──大劇場での芝居の升席や、そこでの弁当・酒(当時は飲食しながら観劇していた)の手配、幕間や芝居前後の休憩、早朝から深夜まで(朝六時から夜十時頃までの事もあった。そのため欧米なみの時間帯導入が、改革の目的とされた)の公演のための宿泊、贔屓役者との連絡や饗宴の手配等々、芝居に関るすべての事は芝居茶屋を通さねば出来なかった。一週間日替わりの通し狂言などでは、その期間泊まり込むのが当然だった。《戯場》を「しばい」と読ませたように、役者はもとより芸者や幇間も呼んで遊べる劇場と合体した《遊廓》と考えればテットリ早い。有名役者と接触するためには、下足番から風呂番・売子にいたる五十近い《職種》の劇場および芝居茶屋関係者=《芝居者(しばいもの)》にチップをはずむのが常識だったから、大変な散財であり、《役者買い》(※1)ともなると資産が傾くほどの高額を要した。茶屋制度の廃止は、こうした淫靡で猥雑な影の部分を分離する事も目論まれたと考えられる。
※1──金銭で金満家の有閑夫人が役者や芸人を愛人とするシステム。有夫の場合には法的には姦通罪(※2)該当するが、《役者》は社会的地位として《人間以下》と考えられていたため、相手を《間男》として起訴する事は《役者ふぜい》と対等にはり合う事であり、それは《間男された事》よりも恥かしい事であった。そのため起訴によって成立する姦通罪は、芸人や役者にはほとんど適用されないに等しかった。《役者買い》は芸者などの玄人をはじめ政財界や資産家の夫人・令嬢などによってなかば公然と行われ、そのために芝居茶屋が文字通り遊廓として機能した。むろん歌舞伎の裏面である江戸伝来の陰間(かげま)茶屋として利用されたのは申すまでもない。営業の一端は、こうした裏面にまつわる少なからぬ収入によって成立していたのである。
※2──妻を夫の所有する《物》として財産と見なす法律によって出来た犯罪。窃盗罪と同様に起訴によって成立し、重罪であった。北原白秋の例に従えば、白秋は二年間《入獄》している。有島武郎の心中原因も、愛人の夫から姦通罪をチラつかされたためで、もし起訴されれば有島個人の《入獄》と爵位の放棄にとどまらず、累(るい)が一族全体に及ぶ可能性が有った。相手が藤原義江のような《芸人》のドン・ファンならば、婦人の夫が華族であっても、マッタク問題にされない《罪》だったのである。
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