話をもとに戻すと、以上の角藤に山口と音二郎を加えた三人が壮士芝居三羽鴉である。ほとんどの新生劇団は、歌舞伎からの派生をのぞき、この三劇団から分化して生まれてくる。他にも後の≪新派≫の原形のようなものが出来つつあった。二十四年に漢学者で劇作家の依田学海(よだがっかい)の提唱で改良演劇の実践として男女合同による劇団≪済美館≫を結成する。後に音二郎門下にもなる伊井蓉峰はこの劇団が初舞台であった。女優は千歳米坡(ちとせよねは)≪芳町(よしちょう)の芸者米八≫が務めたが、こうした男女混合の≪実験演劇≫は、いまだ時機尚早で、二、三回の公演のみで自然解散し、そこに出演していた伊井や水野好美は川上一座に合流する。
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