話をもとに戻そう。桃介に袖にされた貞奴は役者狂いも激しくなるばかり。パトロンの博文にしても、貞奴が〈浮気〉の間は大目に見ても居られるのだが、桃介の場合は〈本気〉であり、しかも貞奴が蔑(ないがし)ろにされたこともあっては、後盾としての沽券(こけん)にかかわる事であった。しかも相手は社会的地位もない二十(はたち)にも満たない学生であり、断りの理由が、芸者を妻には出来ぬ──とあっては、芸者を妻にしている博文にとって面白くある筈もなかった。
また私見ではあるが、明治十四年の国会開設に関する政変以降には博文と袂(たもと)を分かった大隈重信一派の参謀と目されたために、博文が政府新聞を、当初予定だった諭吉に任せなかった事情から考えても、桃介に対する博文の思いには、義父である諭吉の裏切りに対する反感も二重になっていたと考えられる。また、かなり込み入った話だが、この政変時に博文一派であった福地桜痴が自由民権派に担ぎ上げられて、民権派の旗手にされてされてしまい、中途で人気絶頂にもかかわらず博文の意向から慌てて矛(ほこ)を納め、もとより反意は無かったために博文の同調者(シンパ)に舞戻る経緯があるのだが、この桜痴の諭吉に対するライバル意識が、少なからず貞奴の一件に関しても影響を与えていると私には考えられる。
貞奴が音二郎と出会ったのは『明治を駆けぬけた女たち』(中村彰彦編著)によれば、失恋の痛手から芝居通いが始まり、貞奴が音二郎を見染めた事になっている。また杉本苑子の小説『マダム貞奴』では、大川で水泳中に溺れかかった貞奴を音二郎が救い出す、きわめて魅力的なトップシーンから幕を開ける。しかし杉本苑子・渡辺淳一対談によれば、この場面は創作であるという。つまり『旅芸人始末書』をはじめ類書にあたっても、二人の初対面が何時何処(いつどこ)であったか記されていないのである。
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