●plan Bをめぐる議題/話題の決まっていないトークへのお誘い
(木幡和枝、田中泯より)
| 日時= |
2008年1月5日(土) 午後2時〜午後9時
(後半は、新春の祝いに飲物と酒肴で、歓談できればと思います) |
| 会場= |
plan B(当日電話=03-3384-2051)
丸の内線 中野富士見町駅7分
東京都中野区弥生町4-26-20 モナーク中野B1) |
| 事前問い合わせ先= |
担当:090-5385-9631(石原) FAX:055-277-0079
メール:space.plan.b(at)gmail.com
※「(at)」を「@」に変更して下さい。
田中泯 電話:055-277-0071
電子メール:tokason(@)cronos.ocn.ne.jp
※メールアドレスの(@)のカッコは実際には不要です。 |
| ホームページ |
http://www.i10x.com/planb |
|
plan Bの支持者、運営関係者、出演者/展示者、観客の皆様へ
2008年の1月いっぱい閉鎖して、plan Bは生まれ変わりたいです、と一方的に告知していらい、何故?という問いに少しでもお答えしなければと考えてきました。以下、開設時の推進者であり現在もplan
Bの存在に関わっている2名、木幡和枝と田中泯より、皆様と、議題ではなく、気持ちを交流させることができればと願い、集まりのお誘いを申し上げます。これから、この場が、どうすれば意味をもつことが出来るか、皆様にとってはどんな場なら支持し得るか・・・ 忌憚のない話ができればと、呼びかけをさせていただきます。
■木幡和枝より
ホントの気持ちを言うと、、、
plan Bを始めて、いまもその基本を支えているつもりの私が、
plan Bを心底、魂から、素晴らしいと思えない。
主観的なことですが、plan Bの場所の選定に助言をくれたデレク・ベイリーも、その名称決定に、オルターナティブな存在の誇りをこめて大賛成してくれたスーザン・ソンタグも、70歳半ばと始めの年齢で、逝ってしまいました。いまの私には、心もとなさが無いとは、言えません。この問題が頂点に達して、今回の1ヶ月間の閉鎖と、突然のお知らせとなりました。申しわけありません。
1ヶ月では足りないかもしれませんが、自分自身の解剖はもちろん、<自分>というものの輪郭を描いてきた仲間たち、時代、未邂逅だが知っている人々や事実、事態との関係整理をしたいと思っています。そして、やりたい、やるべきだともっと積極的に思える提案にいたるべく、一方的な自己点検期間を提案しました。
1982年にplan Bが始まって25年が経った。私は30歳代半ばだった。それ以上に重要な事実は、それがまだ昭和の時代だったことかもしれません。少なくとも大正時代、戦前、戦中、戦後の記憶が直接間接に体内に脈打っていた気がします。廃墟の光景、臭い、それでいて突き抜けた空気感を何故か知っていて、好きでした。60〜70年代、近代化と経済立国をめぐる政治闘争の激動をやりすごした日本は、80年代に入り、高度成長期の総括段階に入っていた。東京には、それでもまだ不満のたえないほど不足しているものがいっぱいありました。
自由、が無かった、感じられなかった、語られなかった。私にとってもっとも大切なのは<拠所と移動の自由>で、いまも変わらない。場所は自分で決めるものだ、と思う。どんな場所にも拝跪しない(ひざまずかない、拝み奉らない)ことが、一個の身体に棲む孤我のプライドだと。それは所有とは関係ない位相の話だ。
そして25年たったいま、plan Bは場所としてあるためにきゅうきゅうとしている。というか、在ることに安住して、便利な利用場所と成り果てる危機を感じます。もちろん利用して欲しい。だが、それが利用に終わらず、利他的な刺激を発揮する場所になりうるだろうか。そのために知性と時間と体力と、金銭的なものを含めた自己資源を投入する対象となるだろうか。私自身はそれには心身ともに年取った、と、この10年ちかく決め込んできたのかもしれない。若手がもっと勝手にやりたいことをやればいいんじゃないの、と怠惰な丸投げをしたこともあります。反省しきりです。
始めた時代は、多くの人にとって、ここでしか表現できないものごとがいっぱいでした。ほんと、やりたいこと、実験、試行をしたくとも、ほかに使える空間やシステムが不足していた、無かった。いまはあるか? 器としては、管理されたシステムとしては、余るほどあると言ってもいいかもしれない。でもそれは、破綻を認めないで延命を最大課題とする経済社会の、文化芸術部門の政策とその延長線上にあるものが大半ではないか。つまるところ、それは中立的な器ではなく、格付け、商品価値の成果作り、余剰人口とエネルギーのハケ口、余った公務員や専門家の囲い場所。個体はどこへ消えたんでしょう。
表現とか発表とかいう言葉とは裏腹に、書かれない歴史に集積している個人の時間、この集合としての群の時間。記憶とは、「失われたもの」の総和だ、と土方巽は言いました。プログラムにも、事業報告書にも載らない、もっとも親密にして辛苦の時間。個体が運んでいるこういう時間への想像力を励起する表現を、いま、私は欲している。自分からは何を提供できるかあいかわらず無芸大食なのでおぼつかないけれど、そういうものを見たい、触れたいと思います。
オルターナティブという、これまた<格付け>されてしまったスタイルを踏襲する? それでもいい。実験的という、これまた<安全地帯>に固執する? それでもいい。そんなことにこだわりはありません。表面に見えるものが、社会に対してとりあえず採用した戦略が、じつは個人のどんな時間をへて繰り出されているのか。歴史や、失われたものの総和としての記憶と、どう結びついているのか。そこのところに、懐疑的な不満がつのっています。
1ヶ月間の模索期間のあと、plan Bの成長過程としては、どんな段階を措定するか。革命の中の革命であってほしいと願っています。その準拠するべき位相は、もちろん保守的であってはならないでしょう。でも、いま、保守という概念さえ混乱しています。一つだけ言えること。なんであれ、自己投入しないとダメなんだな、、、と。一人でやると言ってるわけじゃないです。より多くの個人とともに、やれることを望んでいます。
またまた話しが長くなりましたが、1月5日(土)午後2時から9時、すっきりしたアタマで、できるだけ深く遠くを見られる心で、参加して下さる方々へ。話して欲しい、聞いて欲しいと、思います。ご参集を待っています。
■田中 泯より
発足当初からの記憶、そして記憶に登場しない大多数の一人一人の時間。私は人の本音を見たり聞いたりして育っていたように思う。plan B企画委員会は、土方巽の、閉鎖からの奪還を大目標として始まった。そして・・・
記憶としての価値以上の物事とは、などというと時代的ではないのかしら。なら言おう。私は一(いち)ダンサーとして「名付けようのない、名付けられない事態のために」闘争し、逃走をしているのだ、と。
「私やplan Bは、そんな風貌ではなかったのか」、と。
もう一度言おう。私は記憶されない大部分の私の時間を突っ走るために、
ハレとケをひっくりかえすのだ。
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